365日目の夜の独り言
2002年12月31日
<要旨>
この365日を「だらんと」振り返り、次の365日を漠然とした不安感をもちながら「期待」する。

2002年の365日目は、家でCATVで映画を1本見てから(しかしもうすでに何を見たのか思い出せない)、クリスマスに開通したばかりの首都高中央環状王子線を使って車でゴルフ練習場へ行って250発を打ち尽くし、帰って長風呂に浸かって筋肉痛の体をもみもみ椅子でほぐし、めずらしく家族全員揃っておせちをおかずに蕎麦ではなくうどんを食べ終えて、そしていま、テレビの歌番組に耐え難くなり子供部屋のパソコンでネット巡回をはじめています。

こういう生活になっている原因は、要するに(ちっとも要するにではない?)、自分のPCが突然のハード障害に襲われ、注文した新機が1月11日頃にならないと届かないからです。年末年始やゴールデンウイークくらいは、自分のサイトをリニューアルしてみたり、何か新しいソフトを試してみたり、新しい技術や知識に触れてみたいのですが、それができないのです。こんな手持ち無沙汰な正月は本当に何年ぶりかのことです。

さて、この364日のうち、前3分の2はこの2年越しの仕事をやっていましたが、後の3分の1は別の部門に異動になってそれまでとは全く違う仕事をしています。5年ほどやっていなかったゴルフを再開したのも営業という仕事柄必要だからです。そして、夏に買った車も、夏休みに軽井沢へドライブした以外は、もっぱらゴルフの足に使われています。ハイブリッドの紅いスポーツカーに乗っていることの意味を理解できるような人はゴルフ場には少ないので、早めに行ってこっそり駐車場に隠していますが・・・。

ますます老眼だけではなく、記憶力や吸収力も落ちてきていて、本を読むのも苦痛になってきました。買い込んである大著がいくつかありますが、どれもかなり難しいものなので手に取るだけで一気に読破するようには挑めません。こうして、ひたすら愚かで頑固な老人になっていくわけです。仕事で出会う同世代から少し上の年代の役員幹部の人たちの多くも、そんな感じです。蓄積的な教養や経験や人脈はあっても、新しい革新的な知識に関してはきわめて疎く無関心なのです。

そうした付き合いをいやだなと思いながら、けして自分も他人事ではなくなっているという自覚があります。こちらの思いはどうあっても、周りの人たちからは区別してもらえそうもありません。

表立ったリストラということではありませんが、職場の平均リタイア転籍年齢は52.5歳だそうで、私もこの3月にはほぼその年齢になります。いろいろな形で「第二の職場」へ移った方々を見ていると、必要とされ貢献できる「個人的資質」を持ち合わせている人はごくまれです。とくに問題なのは、能力以上に人間性です。年功序列のヒエラルキーの中で地位を得て威張っていた人は、どれほど自分自身で努力して言い聞かせても、その地金を露呈してしまいます。権勢を振るっていればいるほど、それは無残です。

さて、あと数時間で訪れる新しい365日には、どんなことが待ち受けていることでしょう。

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